意識高い引きこもり大学生の独り言

根暗を加速させるような音楽と映画と本が好き

どうすれば失恋しなかった? 少し大人になってから(500)日のサマーを観た感想(ネタバレあり)


(500)日のサマー - 予告編

ぼくが初めてこの映画を観たのは、高校生だった。サマーがパーティーでこれ見よがしに指輪を見せつけるシーンでは、ぼくも「サマー、やりやがったな...」とトムの気持ちになって一緒に涙を流していた。レジーナ・スペクターのHeroを聴くと今でもかなりやるせなくなってしまう。

 

しかし、トムはそもそも振られたんだろうか?

ぼくはこの映画を何回も見直したが、トムは面と向かってサマーに好きだと一度だって言っていない。

好きだと言ったかと思えば、サマーに「それは友達として?」と聞かれれば、「そう、友達として」なんて言って無理してサマーに嫌われないように合わせているし、挙げ句の果てに喧嘩をした時に「僕たちは恋人だ!チクショー!」なんて部屋から飛び出す始末。サマーは初めに「私、縛られたくない。今、彼氏は欲しくないの」と言ってトムと付き合えないことはしっかり説明していて、トムも口ではそれに同意している。

トムはサマーに合わせて嘘ばかりついているのに対し、サマーは一度だって嘘をついてはいない。

トムは満足できない関係を満足だと言い、セックスすれば、キスすれば言わなくても恋人だろうと勝手に思い込んでいる。

そもそもサマーにすれば、お互いがセフレということで同意していたと思っているのに、いきなり「僕たちは恋人だ!」と言われたら、びっくりするだろう。トム目線でこの映画は展開していくから、観客はトムがサマーのことが好きんて当たり前にわかると思うかもしれないが、サマーはこの辺りでやっと察するのではないのだろうか。

この映画ではトムが運命を信じる男の子で、サマーが運命なんてないと言い切る現実主義の女の子として登場する。

しかし、これは運命を信じる信じないなんていう壮大なテーマではなく、トムは運命の女の子とサマーを混乱し、サマーという1人の人間と向かい合うことを避けていたように思う。

例えばトムがサマーを「運命」だと確信するシーン。予告にも使われている、エレベーターの中でスミスを聴いていたら、サマーがその音漏れを聴いて「私もザ・スミスが好きよ」と言ってくるシーン。

これでトムは自分が気になっていた女の子と音楽の趣味もバッチリだったことに勝手に浮かれ、「彼女は最高だ!だってザ・スミスが好きなんだから」と勝手に盛り上がってしまう。(これはぼくもあるあるなので気をつけたい)

しかし、サマーはたまたまエレベーターで聴こえた「There Is A Light That Never Goes Out」(おそらくスミスの一番の有名曲)を知っていて好きだと言っただけで、おそらく本当はそんなに好きでもなかったのだろう。そのあと、トムがサマーのそばでかけたスミスの「Please, Please, Please~」には知らん顔をしているし、トムが貸したCDもちゃんと聴いていないことが後半のシーンでもわかる。

 

音楽の趣味もそれほどあっていない、自分がサマーに対して何を求めているかもわかっていない。トムは自分の恋愛に酔うあまり、サマーという人間とも自分の気持ちとも向き合えていなかったのだと思う。

だから関係が終わった。

一度でも恋人になりたいと言えていたら、どうだったんだろう。ぼくも自分に自信を持てない人間だからわかるが、相手の望まないことをしてしまって、失望されたりするのが怖い。特にサマーのようにインスピレーションで生きているような女の子は、自分がずっと楽しませてあげないといなくなってしまうんじゃないかという怖さを感じてしまうのだ。

でもそれでも、世界は競争で、サマーは自分のことを好きだと言ってくれた人とさっさと結婚してしまった。それでもトムは言わなければならなかったのだ。欲しいものを欲しいと言わないで手に入れるなんて人生においてはありえない。

どちらかが無理をしている関係なんてどうせ続かない。壊してしまえ。

そう思って行動していれば、案外受け入れられることもある。

変化を嫌ってその場しのぎの行動だけしていても、所詮は変えられない結末の時間稼ぎにすぎない。(500)日のサマーはそんなことを教えてくれる映画だ。

 

 

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