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同化する灰色の日常と砂穴の底の暮らし。安部公房「砂の女」を読んだ感想

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ー罰がなければ 、逃げるたのしみもないー

砂の女 安部公房 新潮文庫 4頁)

 

三島由紀夫が絶賛し、二十数カ国語の翻訳が発行されている世界的な文学の1つ安部公房砂の女

 

単刀直入に感想を言うと、これはもう文句なしの名作です。豊富な比喩表現と人物描写の機微の一つ一つ、どれをとっても文学の真骨頂だと思いました。

 

 

目次

 

 

あらすじ

教師の仁木順平は休暇をとって砂丘へ昆虫採集へ出かけると、そこで深い穴の中に建てられている家々を見つける。

 

昆虫採集を初日の楽しんだ夜、村人の老人が男を世話してくれ、よかったら村の者の家に泊まって行かないかと言う。男は承諾し、ついていくと、そこは女が一人で暮らす砂丘の端っこを削るようにしてできていた家だった。底まで数十メートルあり、縄梯子を使わないと降りることができないようになっていた。

 

家は砂が降り注ぎ、ボロボロだったが主の女は快く迎えてくれた。奇妙だったが、男は休暇の土産話の一つになるだろうと考え泊まることにする。

 

女は夜になると砂かきをした。こうしないと砂の崖が崩れて家が潰れてしまうと言う。それは村人たちの決まりになっている仕事のようだった。女が掻き出した砂は上から男たちが道具で引き上げていた。男はその気配を感じながら眠りについた。

 

次の日。起きると縄梯子が外されていた。

 

男は当然憤慨するが、女は黙ったまま。どうやら労働の人手不足から男を監禁することに村ぐるみでしたらしかった。

男はあの手この手を使って脱出を試みる。

 

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男がこの部落に来た本当の目的(以下ネタバレ)

正直眠たくなるような出だしの砂の定義やらハンミョウやらを読んでいくと、男はどうしようもない変わり者の昆虫オタクのように思えるけど、「砂と昆虫にひかれてこんなところまでやって来たのも、結局はそうした義務のわずらわしさと無為から、ほんのいっとき逃れるためにほかならなかった」と彼自身自覚している。

 

詳しくは書かれてないけど、現代の我々同様、職場での他人の楽をいっときも許さないかのような、あのピリピリした空気にもうんざりしていたのだろう。

 

「彼らは、自分をぼろ屑のようだと感じ、孤独な自虐趣味におちいるか、さもなければ、他人の無軌道を告発し続ける、疑い深い有徳の士になりはてる。」

「勝手な行動にあこがれるあまり、勝手な行動を憎まずにはいられないのだ」新潮文庫 87頁)

 

こんな職場の人間の描写も、今の自分たちが働いている場所にも通ずるものがあるし、なんならこんな空気って学校にもあるわけで(ズル休みする人を異常に気にしたり)。こういう一見些細なものが無意識に自分自身を蝕んでいたのにも違いないし、そこから解放されたいと願っても無理はない。

彼は繰り返される味気ない毎日に反発するような思いで休暇を取り、部落に来た。そしてそんな気持ちが、流動的でどこまでも自由な「砂」へ引き寄せられる理由だったのだろう。

 

男を閉じ込める村人

村人が男を監禁したのは村の崩壊を防ぐために労働力を確保したかったからだった。村人たちは直接男に危害を加えるわけではないけど、とんでもなく不気味だ。労働しなくなった男に(拉致されてるんだから当たり前)黙って水の配給をストップしたり、逃げ出した男を追いかけるも、懐中電灯の灯りで砂の深い場所に静かに誘導して動けなくなった男を捕まえたり(それも罠にかけておいて助けるみたいに捕まえるのがまた怖い)、挙げ句の果てには男が女と性交するところを見せてくれたら、外に出してやるなどと言う。このやばさったらない。

細かい部分だけど、男が村人を必死に説得し「こんなやり方ってないんじゃないのか」と掛け合うところでも、村人は人一人の人生を台無しにしているというのに平気で適当に相槌を打って受け流し、男が諦めるのをただじっと待ってる。彼らは強い言葉で脅したり暴力を振るうわけでもない。

 

彼らは不良な砂を売ったり、こうして迷い込んだ人たちを拉致して働かせ部落を守ったり本当に最悪なんですが、それを「愛郷精神」なんてすり替えているのもまた恐ろしい。

 

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砂穴の底で働き続ける女

この女がなんとも不潔で妖艶で人間味があって嫌な後味を残しています。女は部落の崩壊を防ぐために毎日毎日砂かきをするためだけに生きているかのよう。

女は男の前でオドオドしたり、恥じらいや性欲もあって非常に人間的に描かれているけど、男に基本怒ったりはしない。男はあまりの理不尽さに思い出しては女に何回も当たるが、女にはまるで効き目がないかのよう。

 

だが、村が不良な砂を販売して商売をしていることを男が咎めた時にだけ女は初めて感情的になる。

「いいじゃないですか、他人のことなんてどうだって!」と。

この発言がこの女の人生に対する考え方の全てだったように思う。

女はここから出ることなんて全く考えていない。ただ、砂かきして内職して、ご飯がもらえて眠れて、あわよくばラジオを買ったりできればそれでいいと思っている。 そんなことで満ち足りることができるのだ。誰かと比較した自分の生活の意味や幸福になんてきっと興味がないのだろう。

 

同化する灰色の日常と砂穴の底の暮らし

読み始めは男の運命は理不尽で、悲惨だと思いながら読み進めていくにもかかわらず、だんだんと「これって普段の生活と何が変わらないんだろう...?」と思い始めてくるのがこの小説の面白いところ。必死になって脱出したところで、砂穴の外に自分の望んでいた生活や自由が本当にあるのかと疑問になってくるんですよね。主人公の送っていた教師として働いて食べて眠っての循環を守るだけの生活と、砂穴の底で砂かきをして配給をもらう生活は何が違うのかと。

 

極めつけはラストで主人公は鴉を捉えるために仕掛けた装置を「希望」と名付けるが、それが砂から綺麗な水を漉す溜水装置の役割をしていることに気づき、主人公はその研究に没頭していく。初めは鴉を捕まえてそこに手紙をくくりつけ、助けを呼ぶのが「希望」だったのに、急に「綺麗な水を確保する装置」が「希望」になっていく、つまりこの村で生きることを前提とした「目的」ができる。そしてこの部落の誰かに溜水装置の話をしたいから、縄ばしごがかけっぱなしになっているのにもかかわらず逃げ出さないというラスト。この心理の機微に対する理解がこの小説が傑作と言われている所以なんじゃないかと思う。

 

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冒頭の一文

「罰がなければ、逃げるたのしみもない」は、最後の方の主人公の心情なんでしょうか。逃げてまでして手に入れたいものはもうないと気がついてしまった主人公。今までは逃げようとすると敵である部落の人々が追ってきましたが、「溜水装置のことを部落の人に話したい」と思うようになってしまうくらい、彼にとって部落の人々はもう敵のように感じられなくなっています。つまりそうした人たちに追われ呼び戻されたとしても、それはもう彼にとって「罰」ではないのです。

これをストックホルム症候群のような心理と捉えるのか、次第にそこでの生活に適合していったと捉えるのか様々ですが、何かに当てはめれば当てはめるほど遠ざかっていくような気がします。とりあえず僕は、人間は合理的な生き物なんかじゃないのかもななんてことを思ったところで終わらせています。

 

砂の女に登場する秀逸な名言・名文

砂の女はひときわ優れた比喩表現や文がたくさんありました。

おまけと振り返りに個人的に気に入った箇所を載せておきます。

 

孤独とは、幻を求めて満たされない、渇きのことなのである。

 

型で抜いた駄菓子の生き方でいいから、とにかく生きていたいんだ

 

大人の愛想笑いの使い道を、やっとおぼえたばかりの三歳の子供がみせる、あの媚態だ。

 

情欲は、結局、破滅への距離を短縮しただけのことだったらしい

 

いつも、別なことを夢見ながら、身を投げ入れる相も変わらぬ反復.......

 

互いに強姦し合うことを、もっともらしく合理化しているだけじゃないか 

 

......第一、性病はメロドラマとは正反対なものだ...メロドラマがこの世に存在しないことの、もっとも絶望的な証拠でさえある...... 

 

ただ、互いにすねあうことでしか、相手を確かめられないような、多少くすんだ間柄だったというだけだ。 

 

要するに日常とは、そんなものなのだ......だから誰もが、無意味を承知で、我が家にコンパスの中心をすえるのである。

 

欠けて困るものなど、何一つありはしない。幻の煉瓦を隙間だらけにつみあげた、幻の塔だ。

もっとも、欠けて困るようなものばかりだったら、現実は、うっかり手もふれられない、あぶなっかしいガラス細工になってしまう....... 

 

二十歳の男は、観念で発情する 

 

勝手な行動にあこがれるあまりに、勝手な行動を憎まずにはいられないのだ 

 

他人を、黒板の上のチョークの跡のように、きれいに拭い去ってしまえると信じ込んでいる世界...... 

 

出来れば、自分の静止が、世界の動きも止めてしまったのだと思い込みたかった。