大学生の退屈しのぎ

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映画「レディ・バード」を観た。自分の保身のために周りを傷つけたあの頃

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レディ・バード(2017年) 

原題:Lady Bird

上映時間:94分

監督・脚本:グレタ・ガーウィグ

出演:シアーシャ・ローナンローリー・メトカーフ、トレイシー・レッツ、ルーカス・ヘッジズティモシー・シャラメ

 

あらすじ
2002 年、カリフォルニア州サクラメント。閉塞感溢れる片田舎のカトリック系高校から、大都会ニューヨークへの大学進学を夢見るクリスティン(自称“レディ・バード”)。高校生最後の 1 年、友達や彼氏や家族について、そして自分の将来について、悩める17 歳の少女の揺れ動く心情を瑞々しくユーモアたっぷりに描いた超話題作!https://filmarks.com/movies/64154

 

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この映画、第90回アカデミー賞で作品賞ほか6部門にノミネートされて、監督のグレタ・ガーウィグも女性として史上5人目の監督賞候補になり、映画批評集積サイトのRotten Tomatoesで批評家支持率100%などなど...。評論家たちの評価は十分だし、君の名前で僕を呼んでティモシー・シャラメが出ていることも注目されている。

  

目次

 

クリスティンじゃなくて「レディ・バード」!

主人公のクリスティンは親や友達に自分のことをレディ・バードと呼ばせている。理由は自分の名前を気に入ってないから。

 

そう、この主人公はいわゆるイタいと言われるタイプの女の子。こんな黒歴史を絶賛生産中だ。

 

レディ・バードは必死だ。多くの17歳がそうだったように。

貧乏な自分の家は恥ずかしいし、田舎ではなく華やかなNYの大学に進学したいし、彼氏は欲しいし、ロマンチックな初体験がしたいし...。大人になってみればちっぽけな悩みだとわかっても、そんなことを当時の17歳の少年少女が受け入れられなかったように当人たちには大問題だ。

 

だから必死で自分を良く見せたくて、平気で嘘を吐くし、裏切りもする。

貧乏な自分の家を隠して、友達のおばあちゃんの豪邸を「自分の家だ」と友達に紹介したり、イケメンなバンドマンのカイルに近づくためなら親友との付き合いを疎遠にしてでもスクールカースト上位の女の子と近づいて仲良くすることだってする。

 

でも、そんな薄情さと優しい心を併せ持っているのがレディ・バードの魅力。

自分の彼氏だったダニーがゲイだったとわかっても、泣いてどうしようと打ち明ける彼を「大丈夫」と抱きしめてあげたり、最終的にはスクールカースト上位の女の子たちとの付き合いを断ってちゃんと親友ジュリーの元へ向かったり。

自分の保身のために身勝手になるのは性格が悪いんじゃなくて10代の誰もが体験することなのかもなんて思う。それくらい必死で自分に自信がなくて余裕がないのだと。

でも、それでも最後にはちゃんと「気づける」ところがレディ・バードの最大の魅力。

 

ぶつかってばかりの母と子

 

この映画では母とレディ・バードは何度も何度も衝突する。

服をほったらかしたまま寝ようとしたり、バスタオルを二枚使ったり、派手なピンクのドレスを着たりする娘に母は小言を言わずにいられないのだ。

そして母と娘は何より進路の話で決定的に衝突する。

お金もないし地元の大学に進学して欲しい母とNYの大学に行きたいレディ・バード

母はおそらくレディ・バードが単なる劣等感から都会に行きたいと行っているだけだということも見抜いていたのだと思う。

だが、父とこっそりNY行きの計画を進めるレディ・バード

その夢は叶って行けることになるのだが、最後の見送りの時まで母との関係は悪化したままでまともに口をきいてもいなかった。

でも母は娘を見送った後車を引き返して娘の元に向かおうとする。

このシーンで「ああ、やっぱり母はレディ・バードのことを考えて本当に愛していたんだなあ」と痛感する。運転しながらだんだん表情が歪んできて涙が溢れてくるシーンは胸がいっぱいになった。

母は娘に最後言葉をかけることはできなかったけど、何度も書きかけては捨てていた手紙はちゃんとゴミ箱からお父さんが拾ってレディ・バードのカバンの中に入れていた。。

そこには母がレディ・バードを生むのがどんなに大変で、生まれてきたことは奇跡的だったこと、などが書かれていた。

 

一人都会にやってきたレディ・バード

友達とも家族とも離れてみたけど、やっぱり故郷が恋しくなってカトリック系の高校にいたクリスティンは思わず協会に駆け込む。

その帰り道思わず両親に電話し、メッセージを残す。

「あのね、私、クリスティン。この名前、結構気に入ってる」と。

 

手紙でも自分のことをレディ・バードと呼んでくれる母の手紙を読んで、自分が親にもらった名前を否定することさえ、両親を傷つけていたんだと気が付く。

 

冒頭で「車の免許すら持ってないでしょ」と母に言われたクリスティン。免許を取ったクリスティンはずっと一人で町を初めて運転した時の感動をママに伝えたかったんだと電話で告げる。

 

この映画のワンシーンでシスターが「愛情と注意を払うことは同じ」だと言っていた。それを聞いて、母がうるさく小言を言っているのも愛情なのかもと気づきだすレディ・バードだが、子供なんだから褒められたい、認められたいと当然思っている。そんな交わらない気持ちでぶつかってしまう二人の親子だけど、この言葉はそんな複雑な親子の問題を解決に一歩近づけた素晴らしい名言だと思う。

 

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人を簡単に踏み台にするあの頃

 

中心となる軸はもちろん親子の問題なのだけれど(原題はもともとMother and Daughterだったこの映画の学生たちもかなりリアルに痛々しく描かれている。

 

例えば、スクールカースト上位のジェナにレディ・バードが無理やり話に入って近づいていくあの感じ。無視したりするわけじゃないけど「何、陰キャが急に入ってきて」みたいな空気。そんな親友を見てジュリーも負けじと輪に入ろうとするけど、同じように空気が変わる。

 

そしてそのカースト上位のジョナ、ジョナの彼氏(?)、初体験を捧げたカイル、で出かけることになっても車の中で3人はレディ・バードのドレスを「ダサい服」なんて言って笑っている。

 

ジョナもレディ・バードがカイルの彼女だから付き合っているだけで、レディ・バードには一切興味がない。だから家を偽られても不快に思ったところで付き合いはやめない。

 

学生時代の付き合いってこういう彼氏とか彼女の存在で付加価値がついて、カーストの上位のグループに混ざったりするの本当にあるあるだよなあなんて思って見てた。

その人に興味があるとかないとかじゃなく、その人が何部で、誰と付き合っているのか、どんなグループにいるのかでつるむ、つるまないを決めるみたいな。

 

この作品は本当に学生生活のそんな空気感みたいなものを残酷なまでに丁寧に描いている作品だったと改めて思う。そしてそんな中で不器用に戦うレディ・バードを見て自分の痛々しい学生生活の「匂い」みたいなものを追体験できるのではないだろうか。

 

まとめ

初めは笑えるところもかなりあったけど、見ていくうちに痛々しくもリアルで愛おしい映画にどんどん変化して言ったのが強く印象的な映画だった。

 

レディ・バードっていうのも、女性(少女から大人になること)自由(少女でいること)の間で揺れ動く17歳を意味しているような気がする。

 

レディ・バード」が好きだったらこの記事にまとめたけど、この辺の映画もオススメしたい。特にスウィート17モンスターとか。

 

www.neatnobibouroku.info

 

追体験できるのは映画のいいところだけど、やっぱり学生時代には戻りたくないなと改めて思う映画だった。イタすぎる。。

 

 

 

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