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映画「南瓜とマヨネーズ」あらすじとネタバレ感想 共感できない大人の恋愛映画

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南瓜とマヨネーズ

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夢を追いかける恋人せいいちと、忘れられない昔の男ハギオとの間で揺れる女性ツチダの繊細な心情を痛々しいほどリアルに描いた漫画家・魚喃キリコの代表作『南瓜とマヨネーズ』。当時のストリートファッションとカルチャーを牽引した雑誌『CUTiE』から派生した、『CUTiE Comic』(共に宝島社)にて1998年から1999年にかけて発表され、90年代の感度の高いユース・カルチャーのバイブル的存在となり、以降も愛され続けてきた。脆くこわれやすい日常が、あたりまえに続いていくことの大切さを説くこの恋愛漫画の金字塔を、『パビリオン山椒魚』(06)、『乱暴と待機』(10)、『ローリング』(15)で知られる鬼才・冨永昌敬監督が実写映画化。(公式サイト)

 

目次

 

 

あらすじ

 

ライブハウスで働くツチダは同棲中の恋人せいいちがミュージシャンになる夢を叶えるため、内緒でキャバクラで働きながら生活を支えていた。一方で、自分が抜けたバンドがレコード会社と契約し、代わりにグラビアアイドルをボーカルに迎えたことに複雑な思いを抱え、スランプに陥っていたせいいちは、仕事もせず毎日ダラダラとした日々を過ごす。そんなとき、ツチダはお店に来た客、安原からもっと稼げる仕事があると愛人契約をもちかけられる。

ある晩、隠していた愛人からのお金が見つかってしまい、ツチダがその男と体の関係をもっていることを知ったせいいちは働きに出るようになる。そして、ツチダが以前のようにライブハウスだけで働きはじめた矢先、今でも忘れられない過去の恋人ハギオ(オダギリジョー)が目の前に現れる。蓋をしていた当時の思いが蘇り、過去にしがみつくようにハギオとの関係にのめり込んでいく。(公式サイト) 

  
 
 
ジョゼと虎と魚たちとか今公開中の「愛がなんだ」とか好きだったら好きかもしれないですね。この手の邦画の不潔な(すいません)恋愛映画は個人的にたまに観たくなるので借りてきました。
 
はい、全く持って共感できないし愛しいとかとてもじゃないけど思えない映画でした。でもなんだろう、この生ぬるい温度がこの映画の最大の魅力なんじゃないかなあなんて思います。
 
ちなみに相関関係はこんな感じ

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(公式サイト)
 

恋愛体質のヒロイン

 
この臼田あさ美演じるヒロインに中盤からどんどん腹が立ってくるんですよ。男がどうしても信用しきれないタイプの女というか悪い想像を掻き立ててくるけど夢中になってしまうタイプというか。
 
最初は尽くすいい女って感じでせいいちには「あなたは家事も何もやらなくていいから、曲とか作ってて」「お金なら私が稼いでくるから」なんて言ってくるんですけど、結局こっそりキャバクラで働いて、愛人契約までしてるんですよね。悲しいことにそれがそうまでしてお金を稼ぐ犠牲体質の自分に酔ってるんだってことが映画の中で明らかです。尽くしている自分が好きなだけで相手のことが全然見えていない。
 
そしてこのツチダの恋愛体質ぶりはライブハウスでバイトしている時に元彼のハギオと再会して、簡単に気持ちに火がつくところでも見られます。もうこの辺から僕はせいいちに感情移入しすぎてブチ切れながら観てました。何より悲しかったのがハギオと再会して、帰り道に帰りたくないアピールをするツチダがこの映画の中で一番可愛いんですよね。本当に好きな男にしか出さない甘ったるい態度というか、「女」になる瞬間みたいなのがはっきり出るんですよ。それがもう耐えられないというか。。
 
で結局ハギオにもあっさり体を許してしまうんですが、その不潔な感じったらなかったです。ツチダはここで「私、ハギオとの子供を堕した」と言いハギオを萎えさせるんですが、ハギオも「へえ、うそー。そうなの。ありがとう」って感じで再び行為を始めるんですよ。せいいちと付き合う前にツチダは相当このハギオに入れ込んでいたっぽいですね。妊娠させられて捨てられて「あの頃はお前といるの全然面白くなかった」なんて言われているのにそれでも喜んで服を脱いでるんですから。お子様の僕には最悪すぎました。
 
 

女たらしのクズ野郎「ハギオ」

 
オダジョー演じるクズ野郎のハギオ。女の子の扱い方をこうもわかってるのかという感じで、ツチダが帰りたくない素振りを見せているのにもかかわらず「終電だし帰ろう」なんて一回は言うんですよ。でもそのあとの一瞬の反応で「あ、こいついけるな」って言うのがわかるんでしょうね。
 
「昔はお前好きばっか押し付けてきて、一緒にいるの全然楽しくなかったけど、今は楽しいし付き合う?」みたいなこともさらっと言えちゃう。かと思えばツチダがハギオとの将来を匂わすことを言えば無視したり、ほかにも女の子がいることを匂わせたり、本当にその場の感情だけで生きている男なんですよね。けど、女性から見たらそれがかっこいいのかな。。
 
ただ、自分の彼女がこんな男に媚態を見せていると知ったら発狂することは間違いないです。
 

 

 

ハギオとは対照的でクソ真面目なせいいち君

 
ツチダの彼氏でバンドマンのせいいち君はバンドを組んでいるんですが、そのバンドがレコード会社と契約して、グラビアアイドルの女の子をボーカルとして迎えることにモヤモヤしている青年。音楽に対して妥協したくないとメンバーとも衝突しているシーンからもそのこだわりはなんとなく窺えます。ハギオとは違って不器用で誠実なタイプ。
 
ツチダが自分のためにキャバクラで働いて、愛人契約をして体の関係を持っていると知った時のせいいち君の怒りようからも彼の誠実さはわかるし、それを知って寝る間も惜しんで必死にバイトするのも彼がただの無職ヒモニートではないことの表れです。そしてなによりこんな自分と一緒にいて幸せになれるわけがないとツチダに自分から別れを告げるところが一番真面目だなあと。
 
ツチダがせいいちと一緒に住んでるアパートにツチダの女友達とハギオを連れてきて部屋を散らかして、ベッドでぐうすか寝ているハギオの姿を見ても全然怒らない。それも自分は仕事で疲れて帰ってきたというのに。。それどころか「ゆっくりしてってくれ」なんてハギオたちに言う始末。優しい。優しすぎる。
 
 

どこにも着地しないラストシーン

 
ツチダはせいいちの歌を聞くことを何よりも楽しみにしていました。だからラストシーンでせいいちの歌を下北のライブハウスの裏の控え室で聞いて泣いてしまいます。この曲はやくしまるえつこが提供した曲です。なかなか賛否あるみたいですが結構僕は好きでしたw 
 
「別にお前に向けたとかそんな深い意味とかないから」なんて言ってせいいちは披露するんですが、それでも僕はせいいちが作ったこの曲は二人のことを歌っているようにしか見えなかったです。
「迷子の迷子の迷子の誰かさん ギターがあるなら歌を歌おう ギターがなければ手を叩こう 道の向こうには猫がいる 3回回ってにゃあと鳴く」
仕事もしないでフラフラしていた自分のことを「迷子の誰かさん」と例え、道の向こうにいる猫(ツチヤ)に向かって、彼女の望むものをギターや歌で生み出そうとして必死にラブコールをしていた自分を気をひくために鳴いている猫と重ねたのかなーと。
 
 
帰り道でツチダはせいいちと二人で会話するんですが、本当に友達みたいな会話でそこにはもう二人がカップルだった面影は全然ないです。
 
多分登場人物の誰も成長してないし、大した変化もしてない。ただ、お互いが誰かを失った人生に戻るだけ。こんな映画としてあるまじきラストが成立してしまうのはこの映画の強みだなと思いました。ただただ大人たちのアンダーグラウンドで粗悪な恋愛を扱っただけなのに、そこに描かれた人物たちが血の通った人物であるからこそ、大きなドラマがなくても完成したんだなと。それこそ現実みたいに。
 
 
タイトルの南瓜とマヨネーズってなんなんだろう。僕はマヨネーズが嫌いなので南瓜にマヨネーズをかけるものなのかさえ割と見当がつかないんですが、おそらくそう言うことではなくて野菜と調味料は冷蔵庫の中でも同じ場所に存在することはできない、けど、別々の場所で離れたところにあれば共存できるものとしての比喩なんでようか。それが共依存的だったツチヤとせいいちの関係のアンサーを表しているのかなあと。
 

 

 

感想

やっぱりこの手の汚い現実的な恋愛が描けるのは邦画のいいところですね。共感は決してできなかったけど、楽しめました。最後にせいいちが歌うヒゲちゃんはギター使って欲しかったかもなあ。。
 
 
 
 
 

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