大学生の退屈しのぎ

底知れぬ音楽と映画と文学と...

映画「奇跡の海」を観た。真実の愛に生きようとした女性の姿

スポンサーリンク

奇跡の海(1996)

youtu.be

 

監督:ラース・フォン・トリアー

出演:エミリー・ワトソンステラン・スカルスガルド、カトリン・カートリッジ 他

 

<目次>

 

 

あらすじ
プロテスタント信仰が強い、70年代のスコットランドの村が舞台。ベスは、油田工場で働くヤンと結婚した。彼女は、仕事のために家に戻れない彼を愛するあまり、早く帰ってくるよう神に祈る。するとヤンは工場で事故にあい、願い通りに早く戻ってきた。だが回復しても寝たきりの上に、不能になっていた……。やがてヤンは、妻を愛する気持ちから他の男と寝るよう勧め、ベスもまた、夫を愛するがゆえに男たちを誘惑してゆく。全8章、2時間38分からなる、濃密な愛の物語。(allcinema)

 

 

ダンサー・イン・ザ・ダーク」「ドッグヴィルでおなじみの鬱映画の巨匠ラース・フォン・トリアー監督の作品です。彼特有のドキュメンタリー的手法と言うんでしょうか、手持ちカメラで撮影しているみたいなブレ具合と暖色を基調とした古臭い色彩の感じ、そして何より8章から構成される劇のような構成が印象的でした。(ドッグヴィルも章で分けられていました)

 

はじめに感想を言いますが、ラース・フォン・トリアーにしては鬱要素が少ないですし、人間に絶望しませんでした(笑)

むしろ人間嫌いのトリアー監督の作品から夫婦の敬虔さを感じたのは感動的でさえありました。鬱映画が嫌いな人でも一見の価値ありです。

 

「やっぱ人間ってくそじゃん」って安心できるから彼の作品が好きというのはあったんですが、今回のこの作品は人間の最悪な部分にもしっかり目を当てている彼が描いた「愛」だからこそ価値があるんだなあと。

あとはやっぱり不幸のどん底で神に祈るって本当に虚しい行為なんですねということです。この辺は宗教信仰のない僕みたいな日本人にもわかりやすい感覚でした。監督は無神論者の家に育ったみたいなので納得ですね。

 

 

夫だけを愛する情緒不安定な妻

 

ラース・フォン・トリアーシャルロット・ゲンズブールビョークといい、痛々しい演技のできる女性を見つけるのが上手だなあとつくづく思います。今回エミリー・ワトソン演じたベスもそうでした。

 

彼女は夫のヤンを神の贈り物だと信じ心から愛しています。だから彼が油田に出稼ぎに行かなければならないという事実をわかっていながらも耐えられません。ベスはヤンと離れ離れになることを想像しヒステリーを起こしてしまいます。(ベスは過去にもヒステリーを起こしたことがある)それでヤンの出発する飛行機が飛び立とうとしているときにに無理やり乗り込もうとしたりしちゃうんですよね。ベスにとってはヤンへの愛が生きる源泉みたいなものだったんだと思います。

 

ヤンは離れ離れになっても仕事の合間を縫って、ベスに電話をかけます。そして二人は聞いてて恥ずかしくなるような愛の言葉をたくさん囁き合って精神的な繋がりを感じ、その距離を埋めようとします。が、実際に肉体的にも満たされない関係はお互いにとって辛すぎました。ベスはヤンが帰ってきますようにと教会で神に祈ります。

 

すると、ヤンが油田で事故に遭い瀕死の状態で村に帰ってきます。手術をするも全身麻痺が残り、性的にも不能になってしまったヤン。ベスは自分がヤンが帰ってくるよう祈ったからだと責めます。そんなわけはないんですが、神様を信じている人間にとって祈ると言う行為がどれだけ真剣なものであるかわかる場面でもあります。

 

そしてベスを抱くことのできなくなってしまったヤンは「愛人を作れ」とベスに言い、その時の体験を話して欲しいと言います。「私はヤンを愛しているからできない」と言うも「やってみる」と言い、娼婦の格好をしていろんな男たちと交わっていくベス。さすがにバスでいきなりおじいちゃんみたいな人の股間を黙って握り出すところは笑ってしまいましたがw しかしそんな行為でさえもベスのピュアさをどこか感じてしまう...。

 

ベスは交わった男たちの先にヤンを見ていて感じていて、それをベスが語る体験談の言葉の端々で感じることでヤンは少しでも自分を満たそうとしていたんでしょうか。それはもはや肉体で交れなくなった二人の究極の精神的セックスとも言えるかもしれないです。

 

 

理解されないベスと残酷な仕打ち

 

ほかの男との体験談を聞くことによって回復の兆しを見せたヤンを見て、ベスの行動はさらに過激になっていきます。しかし村の人間はそんな様子を見てベスを汚らわしいと軽蔑するように。

 

ヤンがベスにほかの男と交わることを勧めていると知ったリチャードソン医師はそれがベスにとって良くないことだと思い、ベスを精神病院に送ろうと決めます。その同意のサインをなんとか説得してヤンに書かせます。それはヤンとベスがもうお互い二度と会えなくなるということを意味してました。

 

素行が派手になり、教会から追放され、精神病院に送られる車に無理やり乗せられるベス。ベスはなんとかその車の中から逃げ出すも、実家に行っても母親がドアを開けてくれず、家に入れてくれません。しかも、そんなボロボロのベスに執拗に付きまとい、「商売女」と言って石を投げてくる子供たちまでいます。

 

ベスは以前乗り込んで危険だと知っている大型船に娼婦として再び乗り込む決意をします。しかしベスはそこで暴行され、男たちに体中を切りつけられてしまい病院に運び込まれてしまうのでした。地獄です。考え付く限りの最悪な不幸のオンパレードです。

 

 

 

地獄か天国か?ラストシーン

 

瀕死の状態のベスは「良い子でいられなくてごめんなさい。全部私が間違ってた」と涙を流しながら母に謝ります。「いいのよ」と母は言いますが、ベスはそのまま息を引き取ってしまいます。

 

そして長老たちの間でベスは土葬されることになりました。つまりは地獄行きです。

 

ベスの死から驚異的な回復を見せ、松葉杖で歩けるほどになっていたヤン。彼とその友人たちでベスの遺体を奪い取り、海の中に送ります。原題のBreakig the Wavesというのも、ここのシーンからきていることがわかります。愛に生きた彼女の遺体は地獄になんて葬らせず、優雅に海の中へ消えていくんです。

 

 

最後に教会の鐘の音がどこからか聞こえるというところで終わるんですが、これも最初の二人が結婚するシーンで村の教会には鐘がないと明かされるところとつながってます。福音のような、最後までピュアに愛に生きた女性の冥福を祈るかのような鐘が聞こえてくるんです。村の長老たちはひどい老害っぷりでしたが、ここには今まで散々宗教批判してきたトリアーだからこその「本来の宗教はこんな風に愛に一途に生きた人間を祝福するべきでしょ?」という祈りのようなものを感じました。

 

 

まとめ

 

この映画は総じて胸糞映画ではなかったです。つらいシーンはたしかにあるけど、そんな現実を悠に超えてしまう愛が二人にはあったんだなあと思えるだけで救いがありました。この監督はそんな「安心」の領域さえも裏切っていくことも多いので。でもだからといって邦題のように奇跡が起こった物語でもないと思います。現実に見放されても誰にも理解されなくてもたった一人の人間のために生きた人間の愛の物語でした。

 

 

www.neatnobibouroku.info