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映画「ナチュラル・ボーン・キラーズ」感想 殺戮を繰り広げるクレイジーカップルの逃避行

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ナチュラル・ボーン・キラーズ

 

あらすじ

父親に性的虐待を受けていたマロリーは、肉の配達員のミッキーと恋に落ち両親を殺して逃避行を始める。行く先々で50人以上も殺した二人は遂に刑務所に収監されてしまうが、そこでも全米が中継してる中で脱走を試みる

 

この映画は理由もなく行く先々で出会った人々を殺し続けるカップルを描いた衝撃作。

監督はオリバー・ストーンだけど、原案を手がけたタランティーノの作風が濃く出ている印象だった(それでもストーンが脚本を大幅に変えたことで揉めたりしたみたいですが)

 

ミッキーのルックス的にレオンを思い浮かべる人もいるかもしれないけど、どちらかというと時計仕掛けのオレンジに近いような狂気だった。

 

衝撃のオープニングと二人が出会うまで

店の中で音楽に合わせて気持ち良く大胆な踊りをするマロリーに卑猥な言葉を浴びせる男性客がやってくる。マロリーがその男に殴りかかると2人は殺戮を開始し店内に残った客を「どれにしようかな」で一人だけ残して、それ以外は全員殺してしまう。そしてその残った一人の男に「ミッキーとマロリーがやったって言え」と脅す。

 

その後二人は車で逃走しながら会った人々を次々に殺していく。

血にまみれた人間や悪魔、アニメーションで描かれた殺人シーンなどとにかく、めまぐるしい演出に圧倒される。

中でも一番強烈だったのは、性的虐待を受けてるマロリーの家族のやりとりがコメディ番組みたいに描かれていたところ。

父親がマロリーに「シャワーを浴びて待て。よく洗うんだぞ。あとでじっくり調べるからな」と言うと、マロリーが泣き出し、観客の笑い声と歓声が入る。めちゃくちゃに不快なのだけど、わざと不快をあおるようにしているのだと思う。ちなみにこのときにでてくる紫のパンチパーマで気弱な母親は時計仕掛けのオレンジの主人公・アレックスの母親にどことなく似ている。

そしてここで肉の配達をしていたミッキーが登場し、二人は恋に落ちる。この演出もくさい演出で敢えてチープに行われているところが面白い。そしてその性的虐待の父親を殺し、傍観していた母親も殺し、地獄みたいな家庭を焼き払って颯爽とマロリーを助けたミッキーはその瞬間は殺人者ではなく救世主に見えた。

 

殺人を繰り返す二人の逃避行の終焉

2人は橋の上で2人だけの結婚式を挙げて愛を誓う。そしてそれから結びつきを強めた二人はどんどん人を殺していくが、ついには警察に捕まってしまう。

運の尽きはまず道を間違えてインディアンの家に転がり込んだところ。食べ物もくれ、泊めてくれたインディアンをミッキーは悪魔の幻覚を見たことにより殺してしまう。(インディアンには2人の背後にいる“悪魔”が見えており、妻を亡くし亡霊のように生きていたことから、死を望んでいたようにもみえるが)

「食べ物をくれて泊めてくれた人を殺すなんて!」とマロリーはミッキーを責める。

2人は逃げようとするがそこにいた毒蛇にかまれ、急遽ドラッグストアに駆け込むが、ドラッグストアの店主がミッキーとマロリーをテレビで見ていたため通報してしまう。

2人は逮捕され、場面は一年後に移動する。

 

 

カルト的人気と再脱走、そしてハッピーエンド。

ミッキーとマロリーは若者からカルト的人気を誇るようになっていた。

キャスターのウェイン・ゲール(ロバート・ダウニー・Jr)は刑務所内でインタビューして儲けようと思いつき、ミッキーにインタビューをする。ミッキーはその中で「自分は悪魔の使者」だと言い、自身の思想や倫理観を語る。

 

ウェイン・ゲールはドラッグを使用しており、不倫もしている。そして視聴率のことしか考えていない人間で、ミッキーとマロリーを逮捕し書籍まで発行したドワイト・マクラスキー刑事(トム・サイズモア)も、マロリーが「お気に入り」で独房の中で無理やり行為に及ぼうとする。ミッキーとマロリーだけが病的というよりは登場人物みんなどこか病的な感じがする。

 

家庭の崩壊をコメディ風に扱うことで、そういうものを楽しんでいる視聴者やマスコミを痛烈に風刺しているところもそうだが、何より一番強烈だったのはラストシーン。ミッキーのインタビュー中に刑務所内で暴動が起こり、その騒ぎに乗じて脱走を試みるミッキーとマロリーの様子が全米に中継されるが、その中で何人もの人が死ぬのを見ていたのにも関わらず、ミッキーがカメラを破壊したことにより番組が終わると退屈そうに視聴者はすぐさまチャンネルを変え新しい娯楽を見つけ出そうとする。(トゥルーマン・ショーもこんな感じの終わり方だった)

 

確かにテレビは一種のショーであることは間違いないが、リアルで起こっていることまでもをそのショーの題材に取り上げ、娯楽としてしまうメディアの在り方や視聴者に疑問を感じざるをえない(ようにこの映画は作られている)

 

ミッキーとマロリーをかっこいいという若者が「僕は人命は尊重するよ。でも、ミッキーとマロリーはかっこいい」と言っていたが、この発言もあくまで殺人を画面内の別世界の出来事としてとらえているからこその矛盾が生まれている。

 

ミッキーとマロリーは脱走後、子供を持ち、親になっていた。人を何十人も殺していた人間は親になって「いつまでも幸せに暮らしましたとさ」的なハッピーエンドとしてさらっと終わっていたのも衝撃的だった。

 

マスコミとそれに踊らされる大衆に対する痛烈な批判

ただ結局思ったことは、構成が時計仕掛けのオレンジにすごく似ているなと思ったんだけど(理由もなく非行に走る若者、犯罪者の若者を利用して儲けようとするマスコミという構図など)、この映画の殺人シーンは娯楽として割り切って楽しむようにできているとしか思えなかったところで矛盾しているような気がしてしまったということ。時計仕掛けのオレンジは老人を集団暴行したり、ドラッグをやってハイになった若者たちが女性に暴行するシーンなんかは見ていて不快感を覚えるものだったけど、この映画のそういうシーンはアトラクションみたいに楽しめてしまったので、それでいて「リアルさえも娯楽にしてしまう」視聴者やマスコミを風刺するのはどうなんだろう、と。まぁそうやって自分を顧みること自体に意味があったのかもしれないですが。

 

でも映画自体の感想としては、すごく好みの映画でした。サントラはかっこいいし終始ぶっとんでて、タランティーノが好きな人間ならきっと魅了されてしまうこと間違いなしの映画。ファッションもすごくかっこいいし、実際にこれを真似た事件が起きて問題になったということもあったけど、あくまで一つのフィクションとしてなら魅了されるのはわからなくもないと思ってしまったのが正直なところ。